« まつりの後 | トップページ | 高知の元気 »

父の遺書

2009817 2年前義母が亡くなった。

89歳の生涯だった。

「はちきん」という言葉がぴったりの働き者で人情が厚く明るい女性だった。

彼女の部屋を整理していたとき一冊のファイルがでてきた。

それはセピア色になっていた父からの手紙の束だった。

朝倉連隊(現在高知大学)から妻宛への書簡綴りで、

その美しい書体は家族への思い、故郷への思いで溢れている。

俳句なども大切に保管されている。

中でも、まだ見ぬ子どもにあてた葉書には愛情に満ちた父親の言葉で綴られていて

胸がいっぱいになった。

昭和19年6月29日、四国、九州の将兵で編成された旅団(約4千人)は輸送船、富山丸で沖縄戦線に向かう途中、奄美大島徳之島沖4k地点で魚雷を受け沈没。

船底に積んでいたガソリンに引火、3724名の犠牲者がでた。

義父はその中の一人、遺骨はなく、さんご礁の貝殻1つであったという。

夫は4ヶ月の赤ちゃんだった。

Photo <ささゆり>

生き残った人や遺族によって昭和48年から現在まで毎年徳之島参拝をしている。

義母が亡くなって初めて徳之島への参拝に参加した。

沈没場所は島から少しの地点、もしガソリンを積んでいなかったら、こんなに多くの犠牲者が出てなかっただろし、泳ぎつけたはず・・・。

さぞかし無念だったろう。

徳之島に参拝して義父がとても身近に感じた。

これからも時間が許す限り参拝を続けようと思うし次世代にも伝えていきたい。

« まつりの後 | トップページ | 高知の元気 »

コメント

はるさんへ
コメントありがとうございます。
はるさんのブログ、お忙しいのに毎日更新されていて頭が下がります。
私のブログは日記みたいなもので、重い話題もありますが、書きたいことを優先しています。

こちらでも8月は慰霊祭などあり、やはり戦争のことは忘れてはいけないこですね。
日本は世界からたまに「平和ボケ」などと言われますが、こうして「平和」でいられる陰にはお父様達の様な方々がいて下さったおかげだと言うことは忘れてはいけません。
いつも素敵な文章になんだか爽やかな気分になります。

はなへ
コメントありがとう。
義母というのは、夫の母や自分の生みの親以外の母のこと

ciscokidさん、いつもコメントありがとうございます。
 少し重い話題なので、もう少し明るい話題に・・・とも思うのですが日記のつもりなので今一番関心があることを書くとこんな感じですcoldsweats02

義母ってなに?

この様な事実を知ると本当に切ない気分になりますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1248326/31013269

この記事へのトラックバック一覧です: 父の遺書:

« まつりの後 | トップページ | 高知の元気 »

ランキング

  • ↑クリックありがとうございます
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

サイドパーツ